秋はやっぱり調子が悪い

こう、人生に絶望するでもなく、真新しい希望を感じるでもないっていうのは、ただひたすら、リバースを続けるテープ、時間と共に劣化していく音質、響き。

 

つまり、そういうことか、今の僕は、詩を書きたいような気分になっている、かといって、詩を書いてどうにかなるわけでもなく、僕には才能がなかったが、どのような才能も、突出などしていないが、この、つまらなさをどうにかしなければ、耐えられない何かがあった。近頃は、夢を見るのもつらい。昨夜の夢、否、今朝の目覚めの前の夢のような、川辺、海辺、プール? で中学生の僕は、半裸の女子中学生たちと、キャッハウフフな夢だったと思う、あとは、光景、写真を撮っている、カメラの話をしている。

別に悪夢ではない。しかし、キャッハウフフの目覚めが心地いいとは限らない。

 

現実は悪夢だ。

 

それも、明白な、ホラーめいた、病的な、悪夢ではなく、薄く延びていくテープのようなポップミュージックめいた。

 

何てことはない、「死にたい」という言葉、口にした途端、陳腐な音として響く願望など遠い幻のように、それは、今朝の目覚めの前の夢、光景、水面のキラメキ。

 

昨夜、新曲を録音した。

3分の、僕にしたら、短い(僕は7分ぐらいは平気で曲を作っている)。

コップに水を入れて、マグカップにも水を入れて、マグカップの水を、ストローで息を吹き込んで、ブクブク。三つのコップ、小さな金属製のフォーク、叩いて、チンチン。泡泡沈沈。雨の夜に。3分。さらに、レインスティックで音を加えて。

 

レインスティックは、ふと、アジア雑貨のお店が、閉店セールで、7割引、600円未満で手に入れた、普通サイズの、そこそこ、大きな、いい音が鳴る。

このレインスティックを使いたくて、サラサラ、とした、優しい音色。

 

キラキラ、している。

 

今、取り組んでいる音楽のシリーズは(サウンドクラウドに出来上がったら、アップしている)、聴き手の反応をあまり気にせず、エンターテインメントではなく、そして、サウンドクラウドやnoteでの反応はイマイチで、仕方ないなぁ、なんて思っている。

すでに、これが、音楽なのか、よく分からない。

誰かを喜ばせようとすることにも、疲れてしまったのか。

一体誰が喜ぶのかも分からない、誰も本当には喜んでいないんじゃないのか? とさえ思いながら、僕は、微笑んでいる。

微笑みは、少しだけでも、気分を変えてくれるから。

秋は調子が悪い

秋は調子が悪い。

落ち込む。

気分が滅入ってくる。

バイオリズムのようなものか。

毎年、調子が悪い。

最近は、過ごしやすい気候なのだけど。

 

ペット・ショップ・ボーイズの“ナイトライフ”というアルバムCDを聴いている。

名盤らしい。

自分の制作した曲よりも断然よくて、落ち込む。

 

こういう時は、何かを積極的にしようとはせず、じっとしている。

そう言いながら、新たにブログを始めたりする。

これは、はてなダイアリーが、PCからだと更新しづらいことに気付いたからだ。

こっちの方が、シンプルで、分かりやすい。

 

川上末映子の“乳と卵”(芥川賞受賞)という小説が、単行本で10円だったので、購入して読み始めたら、ちっとも面白くなくて、同じ日に、30円で購入した筒井康隆の“ダンシング・ヴァニティ”は面白く読み進めている。

同じようなテーマならば、コニー・ウィリスの“最後のウィネベーゴ”(30円で購入)という短編集の最初の“女王様でも”という短編を途中まで読んだけど、そちらの方が、よほど、親しみを感じている。

コニー・ウィリスという人は、アメリカのSF作家で、大ベテラン、アメリカSF界の女王、と言われている小説家らしい。

まったく知らなくて、カバーに惹かれて買ってみたのだが、これは、まさしく、名作の匂いがする。

当然、筒井康隆は大ベテランのSF作家で、川上末映子と比べる方がおかしいのかも知れないけれど、最近、“ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女”というミステリー小説を読み終えた。

長い、長編小説。それも、第三部まであって、それの第一部。

“ミレニアム”の作者、スティーグ・ラーソンは、“ミレニアム”シリーズが刊行される前に死んでいる。

“ミレニアム”は彼の小説デビュー作で、大ヒット、映画にもなった。

ハリウッドのような、娯楽大作。

 

僕には、二つの名前がある。

nakanakajiの方は、もともと、詩人の。今は詩を書くのをやめて、別の名前、本名でやっているのだけど、時々、毒を吐くときに、否、どうでもいいことを書くときに、あるいは、本心? 最近は、本名の名前で、noteを始めたり、サウンドクラウドは以前からやっている、カフカの“城”をちょっと読んでみたけど、これもまた、名作の匂いがした。

 

ちなみに、このブログ、続けるかどうかは、分からない。

何となくのきまぐれに、近頃のむなしさを紛らわせるための、つまりは、退屈しのぎの、どうでもいい、メモのような。

しかし、このはてなブログの、デザインは何となく、気に入った。シンプルで。

シンプルなのがいい。

 

本当は、ブログではなく、ワープロで、それこそ、本当の日記のように、ちょっと書いて、気を落ち着かせるぐらいでいいのだけど。

たまには、テーマはなく、どうでもいいおしゃべりをしたいような、そんな感じで、読み手のことなど考えずに、悪びれず、善人ぶらず、悪人ぶらず、さりげない花のように、蜂のように。

 

秋はたそがれ、人生に疲れてしまう。